呪術廻戦166話にて日車寛見(ひぐるまひろみ)が仲間になってしまう【最新ネタバレ】

呪術廻戦(じゅじゅつかいせん)166話では、虎杖悠仁vs日車寛見(ひぐるまひろみ)の戦いが最終決着。虎杖のまっすぐな心に日車が影響された結果…
⚠︎こちらでは呪術廻戦本誌166話のネタバレと考察をしております。重大なネタバレが含まれる可能性がありますのでご注意下さい。

呪術廻戦166話のネタバレ

呪術廻戦(じゅじゅつかいせん)165話では、弁護士としても呪術師としてもポテンシャルの高い日車の話、そして虎杖との戦いになる。

しかし虎杖が術式が無いにも関わらず手強い相手と確信した日車は全力で潰すと考える。
追い込まれる虎杖はやり直しを宣言し二審に挑むが
ジャッジマンが二審で出した虎杖の罪は渋谷事変での宿儺による大量殺人の件。

虎杖は嘘ではないと話すがジャッジマンの答えは死刑宣告だった。

呪術廻戦166話では、日車が司法修習生だった頃の話。
そして死刑判決を下された後に処刑人の剣が与えられた日車との戦いが始まる。

前回までのあらすじ

・日車は頭が良く天才だった
・それ以上に呪術師としての才能があった
・術式開花からわずか12日で1級術師と遜色ないレベルになった
・そんな日車と呪力なしで対等に渡り合える虎杖を全力で潰すと決める
・次々に繰り出される日車の攻撃に追い込まれた虎杖は裁判のやり直しを請求
・ジャッジマンは二審で渋谷事変での大量殺人を犯した疑いについて話す
・虎杖は「俺が殺した。嘘でも否定でもない」と即座に話す
・しかしジャッジマンの答えは有罪、没収、死刑だった。

第166話『東京第1結界⑥』

処刑人の剣

かつて司法修習生だった日車は吉沢という男から、弁護士にならないかと声をかけられていた事を思い出す。

そしてジャッジマンから虎杖に下された有罪、没収
死刑。
これにより日車には、ジャッジマンから下される最も重い罰
「没収」を付加された「死刑」

これにより虎杖の呪力の使用不可な状態で日車には「処刑人の剣」が与えられる。
処刑人の剣に斬られた者は例外なく必ず死に至るのだ。

日車の心の内

弁護士だった日車にとって、人の心に寄り添う、それは人の弱さを理解するという事。
被害者の弱さ、加害者の弱さ、日車は毎日ずっと食傷だった。

それにより日車は他人に歩みよる度に醜いという感情に侵食されていたのだ。

そんな日車は虎杖に「人は皆弱く醜い、お前がどんなに高潔な魂を望もうとも」と口にする。

その先に何も無い。目の前の闇はただの闇。
灯りをともした所でまた眩しい虚無が広がっていると叫ぶのだった。

すると虎杖は周りの椅子や机を投げ飛ばしながら日車に攻撃を仕掛け始める。

日車の心が揺れ動く。

司法修習生の頃吉沢から声をかけられたが断った日車。
出世に興味のない自分には向いていないと考えていた。

そして「あの時」までは他の生物にはない穢れこそ尊ぶべきだと思っていた。

虎杖が何故罪を認めたのか。日車には分からなかった。
なぜなら手元にある証拠には「虎杖の中にある宿儺について」記されていたから。

日車は虎杖本人が自分の意思で殺していない事を知っていた。
しかしなぜ罪を認めたのか、そう考えていた時には日車は自分の意思で術式を解いていた。

虎杖は無罪だと認める日車

その瞬間日車の腹部に虎杖の拳が入る。
吹き飛ばされる日車に虎杖は声をかける。

すると日車は、刑法39条1項だ、弁識能力と制御能力いずれかが欠けていると心神喪失となる。
渋谷での君は宿儺に肉体を乗っ取られていた事、つまり制御能力が無かったと説明する。

虎杖は何故宿儺の事を知っているのか問いかけるが、日車は話を続ける。

自発的に制御能力を放棄した訳でもない。
「君は無罪だ」と日車は虎杖が無罪であると説明するのだった。

初心に戻る日車

虎杖はそれを聞いてもなお「自分のせい、俺が弱いせい」と日車に話す。

少しの間を空け、日車は「そうか」と呟く。
虎杖は何故術式を解いたか聞くと、初心に戻ったと話す日車。

お前のような弱さを持つ人間がまだまだ居るのかもしれないと話し、
虎杖に100点をあげることを許可する。

お互い椅子に座り向き合った状態で日車は虎杖に
「お前は自分の意思で人を殺めたことはあるか」と聞くと
虎杖は「あるよ」とだけ話す。

俯いた状態の日車は「そうか、最悪の気分だっただろう」と自分が人を殺めた時の事を思い出していた。

その弱さこそが闇照らす灯だったのだ。

呪術廻戦166話の考察・感想

呪術廻戦166話感想

日車寛見(ひぐるまひろみ)が初心に戻った事が大きかったですね。
そしてそうなってしまった理由や心境がかつての夏油に重なる部分も見えました。

虎杖にポイント渡せる事になり今後の動きも気になるところです。

呪術廻戦166話考察

日車寛見の心境について考察

日車寛見が人を醜いと感じるようになったきっかけは
恐らくあの二審で有罪となった件だと思います。

日車は被害者、加害者の弱さに歩み寄りすぎて疲れてしまったのでしょう。

助けたいのに助けられない、歩み寄っても上手くいかない…

そんな気持ちから、気づけば人は醜いという感情が上回ってしまったと考えられます。

そしてその醜いという感情が芽生えた際に羂索はタイミングを見計らって
術式を付与したのでしょうね。

羂索は「その程度の準備を怠るわけがない」と以前話していましたが
その準備というのがまさに「人が負の感情に塗れた時」だったのだろうと思われます。

日車と夏油の共通点について考察

日車が最初に「人は皆弱く憎い、その先に何も無い、目の前の闇はただの闇」って虎杖に叫んでいましたね。

これは自分に言い聞かせるようにしてる言葉だと思われます。
まるで生前の夏油が「非術師は猿」だと自分に言い聞かせていたように。

夏油も日車も人を助けたいという気持ちが恐らく大きく
頑張っていても助けられない事実を目の当たりにした時にキャパオーバーになっています。

そして、日車は自分に「人は憎い」
夏油は「非術師は猿」そう言い聞かせないと自分を保てなかったんでしょう。

この事から日車の考え方が夏油と殆ど同じだと感じました。

初心に戻った日車について考察

虎杖は渋谷事変の大量殺人についてはずっと自分のせいだと言っています。
自分の意思で大量殺人をした訳では無い虎杖が罪を認めた事。
この事実が日車にとって初心に戻るきっかけを作ったのだろうと考えられます。

日車は根本的には人を助けたいという気持ちがあるはずですから
自分の周りに弱い人間がまだ居るのならば自分が助けてあげたいと改めて思ったのでしょう。

虎杖が人を殺めた事を後悔してるように、日車も人を殺めた事について最悪な気分だったと感じていたからこそ、
虎杖の事を自分に似ているとも思ったのかもしれません。

虎杖の存在は、恐らく日車にとってかなり大きいですし
虎杖のじーちゃんの遺言のように人を助けられる存在だって改めて自覚させられる回だったと考察できます。

ジャッジマンについて考察

前回も考察してるジャッジマンについて。
ジャッジマンが極刑にした理由は「虎杖本人が殺していないから」ですね。

そして前回極刑を言い渡す際に目を見開いていた事と
今回の日車の初心に戻ったという発言から、ジャッジマンは日車の心の中の存在が
そのまま式神の状態になって現れていると考えられます。

ジャッジマンは常に目を閉じていましたが、これはこの時日車はまだ「人が憎い」と感じ目を閉じてしまっていたから。

しかし虎杖の渋谷事変の大量殺人の件での発言で
初心に戻ることが出来た=ジャッジマンも日車も目を開いてあげたと考える事が出来ると思います。

虎杖が無罪となった理由について考察

日車は無罪を言い渡した際「刑法39条1項」と話していました。

これは実際にある刑法であり、「心神喪失者の行為は、罰しない。」という事です。

心神喪失というのは、「精神の障礙に因り事物の理非善悪を弁識する能力なく
此の弁識に従って行動する能力なき状態」をいいます。

つまり宿儺に乗っ取られており、自分自身の意思では無かった為
体は虎杖でも、宿儺が殺した事になって刑法39条1項に当てはまり無罪になったのでしょう。

虎杖の存在について考察

虎杖の存在によって救われた人間が沢山いる事は作中でもよく描かれています。
それは、今回の日車についても同じですね。

虎杖の存在が大きかった為、日車本人の改心に繋がったのでしょう。

そして似たような境遇だった生前の夏油くん。
万が一虎杖と生前の夏油が出会っていれば、夏油もあのような状態にならなかったのかもしれません。

次回予想

虎杖は日車から100点を貰う事が出来ましたし、今後は日車も一緒に行動すると思われます。

そして近くにいるであろう伏黒とレジィとの対決が描かれていくでしょう。

しかし虎杖の得点については情報が届いてませんので
もしかしたら伏黒は人を殺めポイント稼ごうとするかもしれませんね。

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